コンプレックス

日常的に「コンプレックス」というと「劣等感」みたいな日本語が思い浮かぶけど、厳密にいうとこの邦訳は誤りなのだ。元々この語を皆の知るところとしたユングの定義は「何らかの感情によって統合されている心的内容の集まり」というより広範な深層心理であり、日本ではアドラーが提唱した理論の中心にあった「劣等コンプレックス」が有名になりすぎて変な解釈をされてしまったという歴史的な経緯があるのだという。 1

本稿は僕があまりにもブログを書かないことに対する自己分析と開き直りである。確かにそこにはブログをきちんと更新し続ける民族への劣等感が含まれるけど、その中心には僕個人の偏見とか拘りとか良いとも悪いともつかない価値観が大いなる存在感を発揮しつつ鎮座している。なので、ここで言うのは「いわゆるコンプレックス」ではないのだ。

いらん保険をかけた。

ブログを書かない人生だった

僕はブログというものをおおよそ書いたことがない。つまり多少書いたことはある。要するに「書き続けた」経験がない。こういう回りくどい言い方になる時点で相当こじらせてる感がある。

学生時代なんとなく思い立ってtumblrでブログを開設したことがあった。ゼミでの議論とその後の考え事をだらっと書き連ねた記事をポストしたら、教授に「私の研究観が端的にまとまっているので授業を受けている学生は読むように」みたいな触れ込みで拡散されるという謎の事態に発展してしまい、なんかの授業を受けたとき隣に座った知らん1年生が熱心に僕のブログを読んでいて全身が痒くなったことがある。

そんな感じでまあまあのバズを経験した自分が、その日以降そのブログを更新することはなかった。なぜか。よくは分からないけど、忙しくも恥ずかしくもなかったので「書けない」という訳ではない。強いて言うなら「書こうと思わない」みたいな感じだったのである。

そして今、ブログを勢いで開設してまあまあの日が経っている。「経っているなー」とは思っている。で、書いていないのである。なぜか。相も変わらず「書こうと思わない」のだ。

いや、書かなきゃいけない訳ではないし、そういう強迫観念に駆られてもいないので、客観的に見てこの現状は必ずしも脱するべきものではなかろう。よって、これは極めて個人的な闘争である。葛藤と言ってもよい。そろそろ永遠に本気出さない中学二年生みたいな状態を脱したい。「俺マジで本気出したらやべえから」と言いながら三十路になりたくないのだ。ウワー

社内ブログは結構書いてたじゃん

多くのITベンチャー企業では、社内向けに何らかのドキュメント共有ツールが導入されていると思う。2年間ちょっと働いた前職も例外ではなく、markdownであれこれ書いて社内全員に向けて公開できる環境があった。で、考えてみると、まあまあ更新していた気がする。この差は何なのか。

まず読者を自分と同じ会社に属する社員だけに限定することができる。全社員でも精々200人弱だったので、これは公開のハードルを凄まじく下げていたと思う。異業種の人に技術の話をすれば大体ありがたがられるし、自分より多くの知識や経験を持っている人は大体顔見知りなので、変なことを書いていても優しく指摘してもらえる。勢いだけのポエムを投稿したところで「新卒」という最強の免罪符があった。とにかく大体許される環境だったのだ。

そして、会社という同じ文脈を共有している以上、テーマはかなり絞られる。自分の場合、仕事で関わった領域が戦略策定・チームビルディング・プロジェクトマネジメント・フロントエンド・サーバーサイド・情報設計と広範だったので、扱う話題こそ散逸していたものの自分のバックグラウンドが「デザイン組織のエンジニア」というそれなりに稀少性のあるものだったので、切り口はそれなりに統一することができていた。

が、上記のような環境が「安全」だったかというと、決してそんなことはない。そもそもデザインという単語は極めて可燃性が高い 2 が、それは社内でも同様なのだ。さすがに炎上と呼べるような事態にはならないが、思想の違いによる議論はそれなりに起きていたように思う。しかし、プラットフォームが全社公開のものである以上それらは「指摘」と「反論」がセットになるのであって、そのやり取りは確実に双方向である。まあ同僚のtimesチャンネルに悪口書かれまくってた時期とかはあるが、いずれにしても多少エゴサすれば大体たどりつけるし、いざとなれば机まで出向くことができる。この精神的な余裕は大きい。

では何故ブログを書かぬ

簡単である。社内ブログを書けていた理由をひっくり返してやればよい。

まず読者がわからない。興味がある話題も、技術的なレベル感も、僕との関係性も、一切が予測不能である。別に無知が露呈したり炎上したりすることに然程の恐れはないのだが、どちらかというと「誰に向けて書けばいいか分からない」という気持ちが大きい。考えてみると社内ブログは割と特定個人や「新卒」「デザイナー」といった対象読者を想定しながら書くことが多かった。その縛りがなくなると何を書けばよいのかというのはぼんやりしてくる。

テーマ性の問題もある。今まで書いてきたのは「某社の社内wiki」の中の1ページであり、僕が書く内容とはカテゴリ・タグによって分類され離散したものとして扱われることが前提となる。ところがブログはそれ自体がひとつの媒体であり、そこには一定程度の全体性が要求される。…いや、あなたが欲しているかは知らないのだけど、少なくとも僕はする。さすがにWeb開発における技術トピックとゲームのレビューと旅日記とメタルバンドの紹介が同居するブログってどうなんだ。いや、別にいいか…。

社内ブログの項には無かったが、僕があんまり休日に勉強しない、つまり日々の学びのほとんどが業務に起因するものなので機密保持の観点から外向きに発信できる知見があんまり無いという問題もあったりする。もちろん抽象化したり、致命的な機密だけを適当なプレースホルダにすり替えたりすることは可能だと思う。しかし前者は肝心の学びそのものの解像度を下げるし、後者はやってみると分かるけど意外と大変である。この手の話はヘタをすると職場だけでなくクライアントに迷惑をかけたり、最悪の場合には訴訟に発展したりするので、とにかく慎重になってしまう。これはビビりとかじゃなくて社会人としてのアレである。「悪さをすればパンク」という時代は平成で終わったのだ。

結論

あれこれと書かない理由を挙げてみて気づいたが、どれも詭弁である。読者なんて勝手に想定すればいいし、好きなことを書けばいいのだ。ただし企業秘密は守る。社会人なので。

しばらく模索しながらあれこれ書いてみるので一時的によく分からないブログになりそう。まあでも最初なので。なんか書いてるうちに見つかるもんなのかもしれない。気楽に書こうと思うなどした。

謝辞

本稿は ブログ投稿のハードルと雑さについて - Yuhei Yasuda を読んだ結果フーンという気持ちになったので書きました。たいへん勉強になる記事をありがとうございます。


  1. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 ↩︎

  2. 主観です。 ↩︎