発端

12月25日の夜に友人と「ラーメンを食べて軽く飲もう」という感じになり、都内で待ち合わせて遊んでいた。結局飲みつぶれてネットカフェで仮眠を取ったりしつつ始発が動き出したので移動して駅まで辿り着くと「本当におれたちの休日はこのまま終わっていいのか」という感情がその場を支配しはじめた。

他の友人はみんな実家に帰ってしまってオフラインでもオンライン 1 でも遊んでくれないし、そもそも僕には帰省を含めて一切の予定がない状態だったので、「じゃあ今から宇都宮に行って死ぬほど餃子を食べよう」ということになって埼京線と宇都宮線を乗り継ぎ、宇都宮駅に辿り着いてしまった。

これがすべての始まりである。

宇都宮での1日

宇都宮という街は特段に栄えているわけでもなく、かといってネタにできるほど寂れているわけでもなく、本当にちょうどよく「ザ・地方都市」という感じだった。僕は東京都八王子市の出身なので、なんとなく親近感を持つことができた。

僕も友人も餃子が非常に好きなので、着いて早々に餃子を食べて、そのあと温泉施設 (健康ランド?) でサウナを決めつつ餃子を食べて、さらに夜の街へ繰り出して餃子を食べた。夜は3軒まわって食べた。「餃子は完全食だから」とか「こんなに野菜を食べたら健康になってしまうのでは」みたいなことを喋っていた気がする。

オリオン餃子と頬を伝う涙

僕は割と味覚が鈍いというか所謂「バカ舌」の類である。何を食べてもそこそこうまいし、ゆえに「本当にうまい」ものを求めるモチベーションが低い。餃子に関して言っても餃子の王将・餃子の満州・日高屋というチェーン御三家 2 に何の不満もなく、ぶっちゃけ宇都宮で食べたものの中にも「うまいけど、いつも食べてるやつとの違いは分からない」という感じのものは結構あった。

そんな中で、最後の最後に食べた オリオン餃子 だけは明らかに何かが違った。酔ってたり寝てなかったり判断力が正しく働いていたかどうか怪しい部分はあるが、少なくともその時の自分にとっては猛烈にうまかった。確実に人生で食べてきた餃子の中で一番うまかったと思う。

うまさを噛み締めながらぼんやりしていたら唐突に目頭が熱くなってきて、堪え切れない速度でこみあげたものが目尻からあふれ出して頬から流れた。僕は静かに泣いていた。

いやこれ読んでる人は意味が分からないと思うけど僕も分からなくて「ナミ、ダ…?」ってなったし向かいに座った友人からは「どうしたの!?なんで泣くの!?」って本気で心配された。

その時はそんな感じで情緒がバカの人になってしまったけど、後になってその時に感じていた・考えていたことを思い返して、得心がいった。

(ここで目を閉じて店内シーンから暗転)

走馬灯

ところで、今年は掴みどころのない悩みを抱えることが多かったと思う。

もともと僕は過去に対して割と強めに後ろ暗い感情を持っているところがあって、そういうコンプレックスは公私の人間関係に少なからず歪みをもたらしていたし一種の生きづらさを感じることが多かった。無力であることがその場の合意となっている新卒時代はよかったものの、多種多様なバックグラウンドを持った「面白い人たち」が集っている現職において、これまでもこれからも何者でもないまま生きている中庸そのものとしての自分を肯定することは日に日に難しくなっていた。「素晴らしい同僚たちと比べたら自分はつまらない無能である」という観念にずっと苦しんでいた気がする。

最近知った心理学者アドラーは自らが普通であることを肯定すべきだとし、そのためには過去や未来との連続性に囚われず「今・ここ」だけに集中して幸福感・達成感を得ることを考えるといいのだという。人生は線でなく連続した点であり、そこには過去も未来も存在しない、ただ「今やっていること」「今成し遂げたこと」だけがある。「今を一生懸命生きたやつが優勝」というギャルみたいな主張である。3 別にアドラーを妄信するつもりもないし、世界の実態と照らし合わせて正しいかどうかという話については一考の余地があると思うけど、なんとなく救われた気がした。

そう考えると、自分は割と無気力で、何かしようと思っても面倒くさがって腰を上げないということが多かった。本もゲームも積みっぱなしだし、生まれてこのかた自分の意思で旅行に行ったことなんて数えるほどしかない。それは「面倒な思いをしてまでやりたくない」という意欲の問題だと思っていたけど、もしかしたら「やりたいことのために面倒さを乗り越えられない」という技能の問題なんじゃないかと感じるようになった。

意欲をコントロールするのは難しそうだけど、技能は訓練によって鍛えることができる。実はそこそこやりたいな~と思っていたことに自ら蓋をして、ゆるセルフネグレクトみたいな状態に陥っていたのだとしたら、好きなことを好きなときにやって日々幸せに生きている実感が持てたら人生やり直せるんじゃないかと思って、最近はできるだけフットワークを軽く保っている。

突然の宇都宮旅行には、そういう背景も多少あったのである。

人生

(ここで目を開ける)

餃子はうまかった。そして、うまい餃子を自ら探し求め、街中を歩き、そして辿り着けたこと、無茶苦茶な過程を経て自分で自分を幸せにできたのが本当に嬉しかった。久々に「成し遂げた」と思うことができて、感極まって泣いたのかもしれない。世界は広く、発見や驚きに満ちていて、お前はどこに行って何をしたっていいのだ…と、餃子が語りかけてきた気がした。

別に意識高い系になる気はないし、かといって仕事サボり散らかそうという気もないけど、なんとなく1日の終わりに「いい1日だったぜ」って思えるように生きていきたいなと思う。今日は掃除と洗濯と家賃の振り込みを終えて、ずっと詰んでたDARK SOULSの中ボス 4 を攻略したので100点である。

着地を見失ったので、Skyrimでグウィリンという大して重要ではないNPCが言っていた無駄にいい感じの台詞を引用しておわり。

ずっと昔、父親が大事な教訓を教えてくれたんだ。曰く「グウィリン、お前の前にあるのは全世界だ。行って体験して、自分のなりたいものになればいい」…その助言を得て、今ここにいるんだ。大した人生には見えないかもしれないけど、自分は満足だ。それが大切なことだろう?

おまけ

とにかく街中が餃子で、割とオシャレ空間な駅前の靴下屋にも「餃子」と書かれた提灯が置いてあって笑った。

あと、餃子の恐竜である「ぎょうざうるす」が可愛かったので キーホルダーLINEスタンプ を買った。

また行きたいな~


  1. PlaystationやSwitchならいざ知らず、PCゲーマーは実家に帰ると大変に無力な存在である。 ↩︎

  2. 今決めた。ぜんぶ近所にあるので。 ↩︎

  3. 詳しく書くと長くなるので省いたけど、別にアドラーは刹那的に生きろと言っているわけではないし、社会規範を反故にして己の欲求だけに従えとも言っていない。気になる人は「嫌われる勇気」とかを読むといいと思う。 ↩︎

  4. 銀のイノシシみたいなやつ (序盤~~) ↩︎